第81回:世界の欠陥機 スパッド A2

プロペラが邪魔なら前に銃座を設ければいいじゃない。


あれ、この飛行機おかしいですよね。プロペラが変なところについています。

写真のスパッドA2(SA2とも)は、かの有名なエアレース、シュナイダートロフィーの初代優勝機、ドゥペルデュサン・モノコックを作った、フランスのスパッド社主任設計士ルイ・ベシュローが設計しました。

「プロペラが邪魔で前に撃てません。」
「プロペラが邪魔なら前に銃座を設ければいいじゃない。」


という、ベシュロー技師の苦し紛れなアイディアを具現化した珍機です。

一応はガードされてはいますが、猛烈に吸い込もうとする”ミートチョッパー”に、裾が少しでも巻き込まれてしまったら…。という、ガナーの恐怖は想像に難く有りません。当のフランス航空隊のパイロットからは「スパッドA2は敵にではなく味方を恐怖に陥れた。」などと、皮肉られています。

しかもこのゴンドラ、強度が不足気味だったようで、
ハードランディングすると衝撃で外れる>ガナーがひき肉にされる
というとんでもない欠陥を抱えていました。

本機が実戦にも投入された直後には、ドイツでは完成された機銃のプロペラ同調装置をもったフォッカーE.I”アインデッカー”を投入。そして悪夢の「フォッカーの懲罰」がはじまり、スパッドA2では全く対抗できず、英仏連合軍は完全に航空優勢を失ってしまう事となります。

現場では徹底的に嫌われた上に、また見てくれのとおりプロペラの推進効率や、機動にも難が有った様で、99機が製造されたのみで、駄作機の吹き溜まりとかゴミ捨て場とか言われたロシアに売却されました。
ロシアは西欧に比べ航空機生産に立ち遅れており、欠陥機でも必要だったのです。
ロシアは後にアメリカに渡りヘリコプターの名門として有名となるイゴール・シコルスキーが設計した史上初の4発爆撃機イリヤ・ムローメッツ(モニノでは火災により見る事は出来ませんでした…がく)を保有するなど、絶対的に技術面で劣っていた訳では有りませんが、ともかく戦闘機が不足していたようです。
背に腹は代えられぬのか、なんと1917年の東部戦線終結まで運用されました。こんな機体で傑作アルバトロスDシリーズと戦ったというのか…。(ひょっとしたらボルシェビキとの戦いにも使用されていたかもしれません)

フランスの詐欺的な販売であったとは言え、半年で新型が旧式化するほど異常な進歩を遂げていた第一次世界大戦において東部戦線の終結まで運用されていたのですから、ある意味では役割を全うしたと言えるかもしれません。

写真の帝政ロシアのラウンデルが描かれたスパッドS79は雪上運用のために降着装置がランディングスキッドに換装されています。不要な機体であったならば、このような改造などされなかったはずで、『必要な機体』であったことが伺えます。

悪い面ばかりを書いてしまいましたが、しかし、基本設計自体は優れたものであったようで、本機はフランスの最高傑作戦闘機スパッドS7の原型となっており、主翼や尾翼、胴体後部にその面影を見る事ができます。
第一次世界大戦初期、相手の偵察活動を効率よく妨害する『戦闘機』という、未だかつて登場したことの無い新発明を少しでも早く実用化するために、各国は様々なアイディアを試し、そして失敗しました。
スパッドA2は欠陥を抱えた駄作機である事は誰も否定できませんが、『失敗は成功の元』となりえた点は高く評価でると言えるのではないでしょうか。

「こんなアホな設計するなら最初からプッシャー式にすりゃいいじゃん?」
という声が聞こえてきそうですが、プッシャー式にはFODしやすい、テイルストライクしやすい、不時着時にパイロットがエンジンに潰されるといった欠点もありますから、ベシュローはトラクター式にしたかったのでしょう。(潰されるという欠点は解決できませんでしたが)
フランスは後に実戦に投入される事となる傑作機ニューポール11が登場するまでの約半年もの間、これもまたビックリなプロペラに防弾板を取り付けたモラーヌ・ソルニエNしか、フォッカーアインデッカーに対抗する術が有りませんでした。そのモラーヌ・ソルニエNも、たまにプロペラを打ち抜いてしまったため、大量生産されませんでした。
なお、イギリスではプッシャー式のエアコDH2を実用化し、いち早くフォッカーに対抗しています。


参考
Musee de l'air et de l'espace, Paris, Le bourget.
(パリ ル・ブルージェ航空宇宙博物館)

(更新日:2008年11月7日)


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