●消耗戦争 2機目の撃墜
(本項は最高のジェット戦闘機エースパイロット ギオラ・イプシュタイン(上)の続きです)
消耗戦争とは67年から70年にかけて発生した散発的な戦闘をまとめて呼称したもので、資料によっては第四次中東戦争とも呼ばれます(この場合ヨムキプール戦争は第五次中東戦争となる)。
69年7月19日、エジプト軍の砲兵間接射に対抗すべく、イスラエル空軍は航空戦力による大攻勢「ボクサー作戦」を実施。翌二十日にはエジプト空軍との間で六日間戦争以来の大規模な空中戦が発生しました。
先の戦争でSu-7を1機撃墜したギオラ・イプシュタインもこの作戦に参加し、3機編隊(珍しい)の2番機としてシャハクことミラージュIIIJを駆りて戦闘空中哨戒に出撃しました。
正午、スエズ運河に接するイスマイリアでイプシュタインは4機のMiG-17を発見。増槽を捨てMiGに奇襲攻撃を仕掛けました。MiGはミラージュの接近に気が付いていません。1番機のショハトはすぐに敵機の背後を取りDEFA
30mm機関砲を射撃。弾丸は主翼に命中。それをもぎ取り撃墜しました。
残るミグは逃走しようとします。3番機のゴードンはそのうちの1機を追撃。しかし速度が速過ぎオーバーシュートしてしまいました。そして、イプシュタインの出番がまわってきます。距離250m〜300mで何回かの射撃を試みましたが命中しませんでした。低高度で必死の回避を試みるMiG-17を追撃し、再び照準に捉えるチャンスを得、イプシュタインは数秒の長い射撃(通常は0.5秒程度)を行い、見事命中弾を与えました。
MiG-17は破片が飛び散るも平然と真っ直ぐに飛行を続けました。イプシュタインは一旦離脱し、様子を見ると、ミグが突然反転急降下しほぼ垂直に地面に激突しました。イプシュタインには激突の瞬間までミグのパイロットが脱出せずに機に残っているのが見えました。恐らく30mm機関砲弾の直撃を喰らい、即死していたのでしょう。
この日、イスラエル空軍はMiG-17の2機に加えSu-7を2機、MiG-21を1機撃墜しました。
●高圧線の下をくぐる 3機目の撃墜
同69年9月11日。この日は消耗戦争中最大規模のエジプト空軍による大攻勢が行われました。休暇を取り消されてしまったイプシュタインはシナイ半島西域の戦闘空中哨戒任務にあたりました。
そして、”鷹の目”は、約38km先で低空飛行中の2機ずつ2編隊、合計4機の敵戦闘機を発見しました(!!)。
増槽を捨て、高度20,000ftから700ktで急降下、枯れ谷にそって高速飛行する敵機(Su-7)を追撃しました。このとき、イプシュタインはなんと枯れ谷の上空を通る高圧線の下をくぐっています。
Su-7の背後、250mまで接近し一連射を加え、Su-7は爆発し地面に激突しました。ベイルアウトも無く、恐らく即死で自分が死ぬ事すら知覚出来なかったでしょう。
Su-7の1番機は襲撃されている事にまだ気が付いていません。イプシュタインは2番機ゴーネンにもっと接近し撃墜するよう指示しました。 ゴーネンが射撃しようとしたその時、Su-7のリーダーはようやく後ろにミラージュがいることに気が付き、撃たれる前にベイルアウトしました。しかし、高度が低かった為パラシュートが開傘する事無く地面に激突。ゴーネンのマニューバキルとなりました。
この日、イスラエル空軍はSu-7を2機、MiG-21を5機撃墜しました。
●イプシュタイン エースとなる
翌年1970年3月16日、MiG-21との4対4のドッグファイトにおいてイプシュタインは1機のMiG-21に対してシャフリル1赤外線誘導ミサイルを発射しました。ミサイルの近接信管は適切に働き、MiG-21のアフターバーナーをもぎ取りました。イプシュタインは撃墜を確信し、確認する事無く次の標的に向いました。しかし、全ての弾薬を撃ち尽くすもこの日の撃墜確実は無しに終わりました。
ウィングマンのシャロンが、追撃していたMiG-21が突然地面に激突するのを確認。このミグがイプシュタインのミサイルが命中した機とも言われていますが、記録上はシャロンの”マニューバーキル”となっています。
9日後の3月25日、エジプト軍のSA-2陣地を攻撃する爆装したミステールIVAを護衛する戦闘空中哨戒任務中、地上迎撃管制より西から接近する航空機を迎撃せよとの指令を受け、イプシュタインはそれを発見しました。ウィングマンのツック、そしてバハラブ、マロム編隊の4機のシャハクはここでも敵機に対して先手を取ります。
ちなみにこの日チームを組んだ4人の最終撃墜数はそれぞれイプシュタイン17機、ツック7機、バハラブ12機、マロム17.5機(※)と、合計53.5機、うち3人が後にイスラエル空軍エースパイロット トップ10に名を連ねる事になると言う強力なメンバーでした。7機撃墜のツックですらトップ10に入らないなんて!
イプシュタインはMiG-21を追撃するツックのバックアップにまわり、背後の警戒にあたりました。イスラエル空軍の空中戦戦術は特殊で、必ずしも上の階級のものがリーダーを務めるとは限らず、またウィングマンもリーダーの援護義務が有りません(もちろんバラバラに闘うと言うわけではありません)。
すると別の4機のMiG-21編隊が接近し、ツックに対してAA-2アトールを発射しました。イプシュタインはツックに急旋回を指示。ツックはミサイルを回避し、イプシュタインはそのMiG編隊に接近。距離400mで機関砲を発射しMiGの2番機は火の玉に包まれ、これを撃墜しました。
MiGのリーダー機はウィングマンが撃墜された事に気が付き、ブレイクしますが、イプシュタインは敵機を逃しませんでした。200mまで接近し機関砲を発射。MiGの主翼が千切れ飛び、この日2機目、合計5機の撃墜を果たし”エースパイロット”となりました。
結局この日イプシュタインは8機のMiG-21と交戦。バハラブとマロムもそれぞれ1機ずつを撃墜、また別の交戦において9日前にチームを組んだシャロンが1機を撃墜し、エジプト軍はこの日だけで5機のMiG-21を失いました。
※)マロムの17.5機は恐らく自己主張戦果です。イプシュタインの17機を越えてるのですが、イスラエル空軍は公式にイプシュタインが一番と言っていますので空軍公認戦果はそれ以下と思われます。
撃墜数なんて数え方によっても異なりますから、あまり深く考える必要はありません。日本軍のトップエースだって岩本・西澤両氏説ありますしね。
●”エースの資質”
イプシュタインの戦闘報告を読むと、その撃墜の殆どが奇襲によって相手に気が付かれないまま葬り去る事例が殆どである事が分かります。
空中戦における格言に「撃墜された5人のうち4人は自分を落とした相手を見ていない。」という言葉が有りますが、イプシュタインの場合もまさしくそのとおりで、この時点で彼が撃墜した5機のうち、後ろを取られる前にイプシュタインの存在に気が付いたエジプト軍パイロットは居ませんでした。
空中戦を支配するFlirst Look, Flirst Kill の原則は古今東西不変であり、全てイプシュタインの”鷹の目”が勝利を呼んだと言っても過言では無いでしょう。
ちなみに、イスラエル空軍のパイロット適性検査は特殊で、空軍は人事に関して最優先権を持っており、パイロット志願では無い人間に対しても適性があると判断されれば、パイロットになることを強制する事が出来ました。つまり絶対的な人口が少なくても、特にパイロット適性が高いごく一部の人間を選び、使うことが出来たのです。もちろん個人の人生設計などお構いなし。全国民が一度は徴兵される国民皆兵国家だからこそ出来る制度ですね。
また、訓練におけるエリミネート(不適合者の排除)は世界で最も厳しい事でも知られています。1960年入隊訓練生でウィングマークを授けられたのは僅か一名だけでした。パイロットの消耗は補充が効かないからこそ、極限まで質をあげて消耗を防ぐというイスラエル空軍の方針は見事にその成果を残しました。
ソビエト式の劣った戦術を採用したエジプトやシリアが、エースの資質をもって初めて一人のパイロットになることが出来たイスラエル空軍に勝てるはずが有りませんでした。
イスラエル空軍は建国以来683機の敵機を撃墜し、被撃墜を受けたのは23機、キルレシオは29.7:1と、主張しています。この手の主張は必ず過剰になるため100%信用する事は出来ませんが、圧倒的な勝利であった事に疑いの余地は有りません。
最高のジェット戦闘機エースパイロット ギオラ・イプシュタイン(下) に続く。
(更新日 2009年6月18日)
〜以下余談〜
今、この文章を読んでいる人の中には、自衛隊のパイロットになりたいという希望を抱いている10代の若者諸君も少なくないと思います。
どうしてもパイロットになりたいなら陸自をお勧めします(無論戦闘機は有りませんが)。陸自の操縦士養成は適性試験は有るものの、空自に比べて「努力ではどうにもならない適性の壁」が比較的低く、少なくともスタートラインに立てる可能性は空自よりも高くなっています。
こんな事を書いたら空自出の地本の人に恨まれちゃいそうですが、戦闘機パイロットは努力と同等にイプシュタインのような生まれ持った天性が必要です。
中東の一部王族が支配する国(サウジアラビアやUAEとか)はちゃんと適性試験を課してるんでしょうか。F-15だF-16E/Fだ、ユーロファイターだとハードウェアだけ揃えて中身のパイロットは適性を無視した王族や金持ちの氏族が多数派なんて事が有りそうで怖い。
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