プロトタイプ YF-15

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【YF-15初飛行】

“F-15”の契約においてフェアチャイルド、ロックウェルとの競合に勝利したマクダネルダグラスエアクラフトに単座型10機と複座型2機の試作機カテゴリー1の契約が与えられ、空軍評価用に8機のカテゴリー2の契約がさらに結ばれた。
1971年に試作1号機F-15A-1 71-0280は完成し、同年中に単座型10機と2機の複座機を完納し、単座機はYF-15A、複座機はTF-15Aと命名された。Fの前につけられたYはプロトタイプ(試作機)を意味し、Tはトレーナー(練習機)を意味する。

試作1号機YF-15A-1 71-0280は1972年6月26日にマクダネルダグラスのセントルイス工場においてロールアウトした。7月には主翼を分解されたF-15はC-5によってエドワーズ空軍基地へと空輸され、マクダネルダグラスのテストパイロットIrving Burrows (アービング・バローズ)氏の操縦により1972年7月27日に初飛行を行った。複座のTF-15A 71-0290は翌年73年7月7日同エドワーズ空軍基地で初飛行が行われ、73年10月29日迄にカテゴリー1の12機全てが初飛行をおこない、この時点で高度60,000ft速度マッハ2.3までの飛行試験が行われた。

上の写真はYF-15A 71-0280 試作1号機であるが、現在のF-15と幾つかの点で異なるのが見受けられる。試験飛行において発生したいくつかの問題を解決するため若干の設計変更が行われたためだ。
試作1号機が試験飛行開始からすぐに高速飛行時にスタビレーターがフラッターを起こす事が判明した。この対処のためドッグツースをスタビレーターに設けることとなったが、水平尾翼にドッグツースを設ける例はあまり無く珍しい。試作4号機以降ドッグツースを標準で備え、1〜3号機にも同等の改造を受けている。
さらに、高度30000ft以上、速度マッハ0.85〜0.95において6G以上の旋回を行うと激しいバフェットが発生することが判明した。バフェット自体は通常飛行機が失速する寸前に当たり前のように発生する無害な振動であるが、YF-15の場合それはあまりにも激しく機体が分解しかねない程であった。この問題はクリップトデルタの主翼両端を斜めに切り落とす事によって解決した。設計変更により主翼面積が片翼4ft2(0.37m2)合計で8ft2(0.74m2)減少した。最終的なF-15の主翼の翼型はNACA64Aで前縁にコニカルキャンバーを有す。厚弦比は主翼の付け根で6.6%で翼端部では3%。後退角は38度42分(1/4弦長)。それに下反角は1度と入射角は0度、主翼面積は56.4m2である。リブはチタンを多用した合金でフラップ・エルロンや翼端はアルミニウムハニカム構造である。外皮はトーションボックスは金属、その他の部分にはグラファイト・エポキシ系複合材を用いている。
チタンで構成されるエアブレーキも当初予測されていた以上のフラッターが発生する事が分かり、大幅にエアブレーキの面積が20ft2(1.86m2)から32ft2(2.93m2)と倍近く拡大された。小さい開度でも十分な減速が行えるようにし、フラッターを抑えるためであるが、現在のF-15の着陸時などはエアブレーキを100%開いている。推定であるがフラッターが問題であったのは高速時だけなのであろう。
 
上の写真はTF-15の1号機71-0290を改造した後のF-15 ACTIVEであるが、右写真の量産機と比べるとこの当時の名残でエアブレーキの面積が小さい事が分かる。
なお、エアブレーキに関連し発生する乱流が垂直安定版を直撃しフラッターを引き起こす。これを抑制するため両方の垂直尾翼上端に突起状のマスバランスを持っている。

米国以外のF-15はどちらの垂直尾翼も細い同じ形のマスバランスであるが、米国のF-15に限り左端のみジャミングポットが格納されたフェアリングを持ち、やや太くなっている。

YF-15から現行のF-15への大きな設計変更点をまとめると―
以上3点である。


写真はやや時間を遡り1969年の時点での風洞実験モデルと現在の形状のモデルを比べた物である。水平尾翼、主翼の相違点だけではなく、初期には垂直尾翼がやや低い代わりに尾部の下にベントラルフィンを持ち、マスバランスも両端にECMポッドを装備しているかのように太い事がわかり興味深い。
また、写真では分からないが1969年のモデルからYF-15への変更点で最大に重要な事は機首部の直径が太くなった事である。空力的には悪影響を及ぼすが、より大直径のレーダーアンテナを装備する事ができるようになった。アンテナの直径はレーダーの絶対的性能を左右し、目視外戦闘能力に大きな影響を及ぼす。

以上の3つの大きな設計変更を含め36の改善案があったが、YF-15の試験は大きな問題にはぶつからずに順調に進んだ。ただし、搭載しているF100ターボファンエンジンは極めて不安定であり度々問題を起こした。これについてはF100ターボファンエンジン項で取り上げる。
その他スピン時など予期せぬ高迎え角における研究究明のため3/8スケールの無人滑空機、F-15RPRV/SRVが製造され並行して試験が行われた。実験機のイーグル F-15RPRV/SRVを参照してほしい。
また、卓越した上昇力を「東側に見せつける」為、カテゴリー2として生産された試作19号機を大幅に改造し上昇力世界記録に挑戦し、殆ど全ての記録を更新した。詳細は世界最高の上昇力「ストリークイーグル」に載せている。

最終的にカテゴリーテストの終了したYF-15AはF-15Aとして、TF-15AはF-15Bと改名され、1976年1月9日に後の湾岸戦争で多大な戦果をあげることとなるラングレー基地第1戦術戦闘航空団に最初のF-15が配備され、イーグルは実働体制についた。

なお、F-15の火器管制装置には地上攻撃用のモードも予め組み込まれており、HUDに爆弾着弾予想地点を表示する命中点継続計算(CCIP)を標準で備え、運用試験においてF-4ファントムを凌ぐ半数必中界(CEP)を得られる事が分かった。

500ポンド爆弾であらばMER爆弾架を用い左右主翼下に6発ずつ、胴体側面にそれぞれ6発ずつの合計24発を搭載する事ができ、当初の設計では必ずしも空対空専用機として造られた訳ではなかった。しかしイーグルの究極の目的は万能戦闘機ではない。あくまで航空優勢を確保するための純たる戦闘機である。実際に運用が始まった後は限られたリソースを空対空に傾注する事が求められ、米空軍での攻撃機としての道を閉ざした。しかし、万能戦闘機としての潜在能力はF-15EストライクイーグルやイスラエルによるF-15の攻撃機化で発揮される事となる。
上写真はわが国のF-15JにMk82爆弾の装備が施された珍しい写真であるが、対地攻撃任務を負う状況はまず無い。


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f4c01.jpg - USAF
lfax.jpg - NASA