航空宇宙博物館 パリ ル・ブルージェ 2008年夏 その3 Musee de l'air et de l'espace (ミューゼ ド レール エ ド レスパス) - Le Bourget Paris ツイート ■その1 ・ルブルージェへの行き方 ・黎明期(1783 - 1914) ・第一次世界大戦(1914 - 1918) ■その2 ・戦間期 ゴールデンエイジ(1919-1939) ・第二次世界大戦(1939 - 1945) ■その3(1946〜現在) ・冷戦期のジェット研究機 ・ 実用ジェット戦闘機 ・ 屋外展示 ・コンコルドホール ・その他 |
■冷戦期のジェット研究機 1946〜
フランスの航空産業は再びよみがえりました!
第二次世界大戦という、飛行機の技術が恐ろしい勢いで発展した時代に空白期を送ってしまったにも関わらず、素早くジェット化の波に乗り、見事にフランスは世界の航空大国として復活を遂げました。
特に軍用機の分野では米ソに匹敵する傑作機を多数設計し、世界中の空軍で使用されました。その輝かしい実績は広く知られています。
勿論、ここル・ブルージェ航空宇宙博物館には異様な外見の研究機から、実績を残した名戦闘機まで、数多く展示されています。
まずは、実用化されることが無かった試作戦闘機と、異色の研究機から見てみましょう。
「S'il vous plait delassez-vous!(ゆっくりしていってね!)」
キモイ ヒコウキ ガ タクサン イルヨ...Σ(゜∀゜)
正面のタマゴ型飛行機、ノール1500グリフォンIIが目立ちます。
・S.N.C.A.S.O. S.O.6000 TRITON シュド・ウエスト国立航空機製造会社 S.O 6000 トライトン 1946
太くて丸っこい可愛らしい容姿のトライトンは、ドイツ占領下であった1943年に航空技師ルシアン・セルバンティ(Lucien Servanty)が秘密裏に設計を開始した、複座単発のフランス最初のジェット機です。
フランス解放後、ようやく日の目を浴びて実現の目処が立ちましたが、肝心の国産ジェットエンジンの開発が間に合わなかったため、ドイツから鹵獲したユンカースJumo 004推力8.8kNを搭載して1946年11月11日にフランス中部のオルレアンにて初飛行を行いました。
5機が製造され、1,2号機がユモ004を搭載。3,4,5号機はより強力なロールスロイスのニーン推力22kをイスパノスイザがライセンス生産したものに換装されています。
展示されているトライトン3号機は写真のニーンを搭載し、1950年4月4日に初飛行を行いました(同じエンジンを搭載した4,5号機のほうが先に飛行しています)。最高速度は955km/hに達しています。
初めて遠心圧縮式のジェットエンジンを見ましたが、見慣れた軸流圧縮式とは全く違いますね。二箇所のエアインテーク(!)から流入した空気は、巨大なコンプレッサーで外側に向けて遠心力によって圧縮され、さらに90度曲がって9つのカン型燃焼筒に向かい燃焼。各燃焼筒からの排気を一枚のタービンで受けています。
8枚ものファンで圧縮しているJumo004に比べて、とてもコンパクトです。…太いですが(^^;
トライトンと次に登場するルデュック010。トライトンは50年代の初頭、フランスの技術が超音速に達するまで研究機として運用されました。
英独のエンジンから戦後ジェット機の歴史を切り開いた点はソビエトと似ていますね。ただ、ソビエトはYak-15やMiG-9といった実用機からスタートした点が異なりますが。尤もYak-15やMiG-9は「戦闘の出来ない戦闘機」でしたが…。
・Leduc 010 ルデュック010 1949
ルデュック010は史上初のラムジェット推進を持った飛行機です。一見ミサイルか無人機のようにも見えますが、れっきとした有人機で、「コックピットなんて抗力を生み出すだけの邪魔な存在」と言わんばかりに、ノーズコーンの内部にコックピットが設けられています。エンジンに翼をつけただけ。まさにそんな表現がピッタリです。
初めてこの飛行機を見て「どうやって乗り降りするんだろう?」という感想を抱かない人はまず居ないでしょう。ルデュックという名前も発音し難ければ、このスタイルもなんとも形容し難い変態機です。
ルデュック010の計画は非常に早く、1937年にフランス航空省が計画を立案、ブレゲー社のルネ・ルデュックが設計を担当しましたが、1940年5月のドイツの侵攻により計画は一旦頓挫しています。
ラムジェットですから、当然コンプレッサーも無ければタービンもありません。エンジンの稼動にはラム圧を得られるだけの対気速度が必要ですから、シュドエストS.E 161「ラングドック」に積載されて離陸、上昇後滑空する事によりエンジンを始動させました。
1946年11月19日、まずはエンジンを使わない滑空飛行で初飛行を行い、1949年4月21日に高度4000mから切り離し、15.7kNのルディックラムジェットを使った飛行に成功しました。到達速度は680km/h。
最終的にはマッハ0.85に達し、上昇力は2376m/分と、当時のジェット戦闘機を超える性能を発揮しました(といっても、ミーティアやP-80世代)。
ル・ブルージェ航空宇宙博物館に展示されているLeduc 010は、翼端に「マルボレ」ターボジェットエンジンを搭載し、自力での離陸が可能なLeduc 016という名称で呼ばれていましたが、マルボレの2.5kN推力では不足気味だった上に、主翼にフラッターが発生したため、すぐに取り外され、名称もLeduc010に降格させられています。1964年まで運用されました。
ルデュックの挑戦は後述のLeduc022に続きます。
・S.N.C.A.S.O. S.O.9000 Trident I シュド・ウエスト国立航空機製造会社 SO 9000 トリダン1 1953
さあ、カッコいいのが出てきました。
今までの変態研究機とは違い、海神トリトンの三叉槍「トリダン」はマッハ2級の戦闘機を目指した試作機です。翼端に推力8kNのMD30ターボジェット、機体後尾には戦闘用の推力44.1kNのSEPR481液体燃料ロケットモーターを単発で備えています。そう。トリダンは当時流行していた(?)ハイブリッド戦闘機だったのです。
はい、そこのあなた。また変態か!というため息をつかない。
トリダンにはエルロンが有りません。オールフライングテールのみでロールを制御するという変わった特徴ももっています。
機体のスペースの殆どが燃料+酸化剤で占められていますが、ロケットの燃焼時間は4分30秒しか有りませんでした。短いように感じられますが、当時のアフターバーナーエンジンも5分持たないし、レシプロエンジンの緊急出力もせいぜい5分程度でした。普通空中戦は3分以内には終わりますし、燃焼時間は十分だったのかもしれません。
博物館に展示されているトリダン1号機は当初マルボレIIターボジェット推力3.9kNを双発搭載、戦闘用の推力12.2kNのSEPR25液体燃料ロケットモーターを三発搭載しており、1953年3月2日にロケットモーターを使用せずに初飛行を行いました。同年9月1日、2号機は初飛行に挑みましたがマルボレの貧弱な推力不足から離陸に失敗。墜落、大破しています。1954年にエンジンを現在のタイプに強化されたトリダン1号機はマッハ1.63を記録し、上昇飛行中に超音速に達した最初のフランス製飛行機となりました。
発展型のトリダンIIはマッハ1.9に達しましたが、肝心のフランス空軍の超音速戦闘機配備計画としては残念ながら採用されずに終わり、皆さんご存知の傑作ミラージュIIIがフランス超音速戦闘機として君臨する事となります。
ロケットモーターによる緊急出力方式は世界中の国々で試験されましたが、結局何処の国にも採用される事は無く、以降はアフターバーナーが広く用いられるようになります。
アフターバーナーを搭載したトリダンIII、無人化したトリダンIVなども計画されましたが、資金不足のため中止されました。
なお、本機の武装は胴体下に抱いたマトラ510を一発のみ。固定武装も有りません。
手前ミステール 中トリダン、奥はミラージュG。
白黒にしたら銀翼機の渋みが出ました。でも、後ろに雰囲気をぶち壊す変な実験機が…(涙)
・Nord 1500-02 Griffon II ノール1500-01 グリフォン2 1955
なんか、F-16+F-106をミラージュ3で割ったような感じで、機首部と胴体主翼がどうも不自然に繋がっているようにしか見えません。合成獣グリフォンの名の通りにマッハ2級ターボジェット・ラムジェット複合動力試作戦闘機です。
トリダンと同様にフランスのマッハ2級超音速戦闘機計画の候補としてスタートし、クロード・フラマンの指導のもとに設計されました。
メインのノール ラムジェットの中にスネクマAster 101ターボジェットが収められているために酷くゆがめられてしまっています。コンプレッサーやタービンの無いラムジェットだからこそできる複合動力の配置方法ですね。SR-71も同じくラムジェット内部にターボジェットを備えています。
そのせいで主翼の付け根ほど太くなるという見事な逆エリアルールの胴体です。見るからに超音速に不適そうな設計ですが、よくまあマッハ2まで出せたものです。
グリフォンの1号機はスッキリしたキャノピーを持っていたのですが、博物館に展示されているグリフォン2ではマッハ2以上の高速飛行における耐熱性アップのためにキャノピーが強化され、視界が非常に制限されています。
グリフォン1は1955年9月30日に初飛行を行い、最終的にはマッハ1.3を記録しました。グリフォン2は1957年1月23日初飛行を行い、1958年8月5日には2,330km/h マッハ2.19を記録。フランス機としてはじめてマッハ2を超えました。
また、100kmクローズドサーキットにおいて平均時速1643km/hで世界記録を打ち立てています。
正面から見ると、デフォルメされた卵型飛行機のようで実にユーモア溢れるシルエットです。
カナード+デルタのクロースカップルドデルタを先駆けて実用し、また見かけ以上に軽く(離陸重量6t…いやこれ自重の誤植だよな?)、機動性はとても良かったようです。
低圧タイヤを採用しており、臨時滑走路における運用も考慮されていたようです。
この写真もあえて白黒に。奥は後ほど登場するミラージュIII-Vです。
1959年、ターボジェット単独エンジンでマッハ2を超えたミラージュIIIが採用され、残念ながらノール1500グリフォンの試験は中止されてしまいました。
・Leduc 022 ルデュック022 1956
恐怖のノーズコーンキャノピー、ルデュック再び。
ルデュック博士「さ、はやく我がルデュック022に乗るんだ!」
テストパイロット「いやだぁぁぁ、いやだぁぁぁ…うわぁぁぁ(><;)」
と、前回のフライトで精神変調をきたしたテスパイが、引きずられながら無理矢理乗せられているシーンを想像してしまった。
操縦席はリクライニングシートになっており、足を前にして半分あお向けに寝そべった状態で搭乗します。現物を見たときは腹ばいで操縦するのかと思ってました。
下に置いてあるキャノピーが、またいい味出してます。一見脱出が不可能なように見えますが、緊急時はノーズごと切り離しました。
Leduc 022は超音速に達する事が求められ、ルデュック010よりも一回り大型化しており、推力59kNのより強力なラムジェットエンジンを搭載しています。また、メインのラムジェットの内部には低速時用の補助用ターボジェットを搭載しています。これにより自力による離陸が可能となりました。よくグリフォンIIのような逆エリアルールの卵型にならなかったものです。
1956年12月26日にターボジェットのみを使用し初飛行し、147回目の1957年12月21日の飛行試験時に火災が発生しノズルを損傷、製造中であったReduc 022の2号機とともに予算が打ち切られ、1958年に試験は中止されました。
010、016、021、022の4タイプが製造されたルネ・ルデュック博士の野心作は終了する事となります。
ジェットに翼をつけただけの、ある意味究極の有人機。フライングエンジン。
見れば見るほど笑えて来ます。笑いどころだらけで、どこから突っ込んでいいのやら。
エアインテーク内のコックピット、筒に翼つけただけ、足の格納…。ホント凄い。
空軍に提案された迎撃戦闘機型(えー!)では、主翼端のウィングチップタンクは20mm機関砲ポッドに換装される予定でした。というかウィングチップタンク意外にどこに燃料積んでるの?って感じです。
もしミラージュIIIじゃなくてルデュックが採用されていたら…フランス空軍は永遠の恥を背負うことになったのに。残念(笑)
・Dassault Mirage III.V ダッソー ミラージュ3.V 1965
Mirage III.Vは、バルザックVというミラージュIIIのプロトタイプを原型にVTOL化した研究機を、さらに大型化、ミラージュIIIと共通化することによりコスト減を目指した実用に向けた試作戦闘機です。ダッソーが世界的なVTOLの流行に乗って設計しました。
ミラージュIIIVはミラージュ8でもなければ、ミラージュIII/5でもありません。ミラージュ3のVです。Vとは勿論VTOLの意を持ちます。
1965年2月12日に最初の垂直離陸に成功。66年3月25日には垂直離陸から通常飛行への転換飛行に成功しました。
本当長くて太いですね…。ミラージュ3の均斉の取れた美しい機体が崩れてしまっています。
推進用のジェットはスネクマTF106アフターバーナー付きターボファンで、74.5kNの推力を発します。計測された最高速度はマッハ1.32で、より強力なエンジンを搭載した2号機はマッハ2.04を記録しています。
しかし、66年11月には2号機を墜落事故で失い、また1号機もトラブルが頻発。結局ミラージュIIIと共通化した低コストVTOL超音速戦闘機の計画は中止されてしまいました。
胴体内部には19.6kNの推力を持つロールスロイスRB.162リフトジェットを2基ずつ一組計4箇所に合計8機基も搭載(合計156.8kN)しています。それぞれ2基ずつ観音扉を持っています。また、見難いのですが、尾部に小さなバイパスエア噴出口を確認できます。
これだけ搭載しているのですから、胴体が太く長くなるのも頷けます。
機首下面のバイパスエア噴出口。もちろん翼端にも有りました(なぜか撮り忘れた)。
対するエアインテークは、F-35Bと同じように後方のヒンジにより支えられた一枚扉になっています。
仮にもう少し粘ってミラージュIII.Vを実用化にこぎつけていたとしても、戦時に8基のリフトジェットを維持・整備など出来るとは全く思えません。推力を偏向させるという特異なハリアーだけが成功し、世界的に主流であったリフトジェットに頼った飛行機は全て大失敗(実用化したYak立たずを含む)してしまったのは興味深いところです。
・Dassault Mirage G 8-01 ダッソー ミラージュG8-01 1967
60〜70年代の可変後退翼ブームに対するフランスの回答が本機ミラージュGです。
ミラージュF1の複座型ミラージュF2(試作で終了)を原型に、主に対地攻撃(核搭載能力を含む)を主眼とした多用途戦闘機を目指し、設計されました。展示されているミラージュG8は3タイプ作られた最後期型です。
1967年10月18日にプラットアンドホイットニーのTF306ターボファンを搭載した最初のミラージュGが初飛行。後にスネクマAtar9K50を双発化したミラージュG4が製造され、ミラージュG8では軽量化とコスト削減を目指し、複座が廃止されたG8-01と、複座のG8-02の二機が製造されました。G8は1971年5月8日に初飛行を行っています。
1972年7月にはマッハ2.34での飛行を成功させ、欧州速度記録を塗り替えました。現在に至るまでこの速度記録は破られていません。1975年にはマッハ2.5への挑戦が行われる予定でしたが、1974年11月22日の飛行を最後にミラージュGシリーズの計画は中止されました。
ル・ブルージェ航空宇宙博物館では最大展開状態で展示されています。後退角は23度から73度。一見複座ですが、G8-01に後席は有りません。
中止された理由はおおよそ想像がつくと思いますが、高コストである事、複雑で整備性が悪い事です。可変後退翼機の弱点そのままです。
もし、仮に実用化したとしても、70〜80年代の名機として記憶されつつも、MiG-23がMiG-21より先に消え去りつつある事、F-14がF-4よりも先に退役してしまった事、それと同様にミラージュF1やミラージュIIIよりも先に退役していた事でしょう。
可変後退翼には『夢』が有りますが、採用した国は皆後悔していますから、早期に計画を中止してしまったのは賢い選択であったかもしれません。
・Super Mirage 4000 シュペルミラージュ4000 1979
屋外展示機なのですが、この機も日の目を見る事無く中止されてしまった試作機なので、こちらに含めます。
1970年半ば頃、ダッソー社は『1980年代は大型戦闘機の時代である』と、予測。西側だけで5000機の大型戦闘機需要が発生すると試算し、国際市場におけるF-14やF-15の対抗馬としてミラージュ2000を大型化したのがこのミラージュ4000です。
俗にシュペルミラージュ4000と言われています。
よほど自信が有ったらしく、フランスをはじめ何処の国の空軍にも発注を受ける事無く自社開発しました。
簡単に言えば、ともかく2倍。ミラージュ2000の2倍。この一言に尽きます。スネクマM53を双発化、燃料は2.5倍、翼面積は1.5倍、ペイロードは2.5倍。
写真で見ると分かり難いのですが、間近で見ると確かに他のミラージュシリーズとは違って、その大きさは強烈な圧倒感を感じさせます。
機首周りはF-15とそっくりですね。シュペルミラージュ4000は1機しか製造されませんでしたが、恐らく最初から複座型を想定したものと思われます。
本試作型はミラージュ2000と同型のFCSを搭載していますが、レーダーアンテナ直径1mの大型レーダーの搭載も予定されていたようです。
ミラージュシリーズにしては珍しくカナード付きのクロースカップルドデルタ形式。翼面積もミラージュ2000と比し1.5倍になっていますが、それでもなお離着陸性能低下を防ぐための努力がみられます。
あとは昔に作ったシュペルミラージュ4000のページを見てください。
実は私ミラージュ4000の隠れファンなんです。ル・ブルージェ航空宇宙博物館にも、これが見たくて計画を組んだようなもので(^^;
2008年現在航空自衛隊はFXに揺れてますが、ユーロファイター採用するぐらいならシュペルミラージュ4000bisを!(笑)
■コーヒーブレイク (*゜ー^)_旦
(よくみると、このホールフランス空軍のラウンデルになっています)
平日に訪れた事もあって、館内はガラガラでした。その代わり社会見学で訪れた子供が多いの何の。
日本でいうところの3〜4年生ぐらい?の子供たちが自国の飛行機そっちのけでヽ(*´∀`*)ノキャッキャしてました。
こうして、小さい頃からフランスの航空機と慣れ親しんでるんですねえ。
ああ、わが国は悲しき敗戦国。日本にも国家を代表する航空博物館が早急に必要です。
私なんかは昼食もとらずに(飯くってる暇あったら飛行機だよ。飛行機。)一心不乱に歩き回っていたのですが、ふと食事をとっている子供たちを見て気が付きました。フランスにはお弁当とかそういうのが無いようです。ミラージュ4000の前辺りでみんなポテトチップスや、菓子パンをほおばっていました。
フランスっ子は、遠足の当日にお母ちゃんが朝早起きして精魂込めて作った、美味しいお弁当を食べる楽しみを知らないんですね。
航空に関する事を含めて、日本とフランスの文化の違いを感じました。
PRET?! プレ!? (準備良いか!?)
PRET!! プレ!! (準備良し!)
EJECTION!! エジュクシオン! (脱出!)
アメコミ風のマンガがたくさん展示されてました。
黎明期〜第一次世界大戦のホールにあった模型展示室。数百機が展示されていますが、私が見る限り日本機はゼロでした…(^^;
が、後で連れに聞いたところ零戦と一式陸攻だけは有ったそうです。
この写真のどこかに両機が写りこんでいます。さて、どこに有るでしょう?
ジャポネーレストラン トーキョー(笑)
ル・ブルージェ飛行場(博物館)の入り口の対面にありました。ちょうどバス停の目の前だったのですが、行きは興奮して博物館しか見えてなかったので、気づきませんでした。
YAKITORI SUSHI SASHIMIなんでもあるよー。ちなみに隣はKARAOKE屋でした。
ル・ブルージェの入り口。ジャポネーレストラン トーキョーの本当目の前です。
ふと気が付いたんですが、restaurantって、なんで最後の「ト」を発音しないのかと思ったらフランス語が語源だったんですね。
■実用ジェット戦闘機/屋外展示 1946〜
さあ、いよいよ現用ジェット戦闘機の登場です。アメリカやソ連の戦闘機と比べると、フランス製戦闘機の知名度はやや劣ります。漠然と「ミラージュ」としか知らない人も少なくないと思います。ましてウーラガンやミステールなんて、戦闘機に興味を持って日の浅い人にとっては、聞いた事も無い飛行機だと思います。
しかし、フランス製ジェットは世界中に広く輸出され、主にイスラエルによってミグと対等、いやそれ以上の素晴らしい実績を記録しています(性能云々よりもイスラエルの運用の勝利と言えますが)。
まずは屋内に大事に保管されているフランス製ジェット戦闘機と、続いてアメリカ・ソ連・スウェーデンの戦闘機を見て行きましょう。
・North American T-6G Texsan ノースアメリカン T-6G テキサン
いきなりジェットじゃないじゃん。と、言われても困ります。なぜかここに展示されてたんです><
ロケットポッドを搭載していますが、見るからに派手なので練習機として運用されていたものと思われます。
・S.N.C.A.S.E. SE 535 Mistral シュド・エスト国立航空機製造会社 SE535 ミストラル 1943
デハビランド バンパイアFB Mk.5をシュドエスト国立航空機製造会社がライセンス生産したもの。250機が製造され、フランス空軍に配備されています。
流行した双胴ブームのジェットの走りとなったバンパイアですが、基本設計は殆どミーティアと同世代。RAFに就役したのは1945年で、フランス空軍には1952年に就役、1961年まで運用されました。
バンパイアFB Mk.5のオリジナルはロールスロイス・ゴブリン ターボジェットを搭載していますが、本機はイスパノスイザがライセンス生産したニーンを装備しています。次に登場するウーラガンやMiG-15と同じです。
しかし、いつも思うのですがこの形式だとジェットの排気が水平安定板に当たってエレベーターに干渉しそうな気がするんですが、大丈夫なんでしょうかね、そのためか? 水平安定板がやや上についていますが。
武装は4門のイスパノスイザ20mm機関砲。スピットのE翼と同じですが、いかにもジェットらしい機首に集中された構造は、どこかそそりますね。
ちなみにSNCASOシュド・ウェスト(南西)やSNCASEシュド・エスト(南東)は名前が似ていますが別の工場です。他にもSNCANノール(北)、SNCACセントル(中央)とか、「SNCA(国立航空機製造会社)+方面」の名前がついた国立工場がたくさん有りました。殆どがスパッド・ブレリオ(シュドウェスト)やファルマン(セントル)、ポテ(ノール)といった昔から続いていた名門の血をひいています。
シュドウェストとシュドエストは後に合併してシュド(南)という名前に代わっています。シュドとノールは合併してアエロスパシアルになり、アエロスパシアルはEADSの母体となりました。航空会社の統廃合は複雑すぎて困りますね。
・Dassault M.D 450 OURAGAN ダッソー M.D 450 ウーラガン 1949
ウーラガンはフランス最初の実用ジェット戦闘機にして、ダッソー社の記念すべき第一作目の戦闘機です。ウーラガンの名は暴風の意。ドイツのR4Mオルカンと同じ語源なのかな?
左舷にラファイエット飛行隊、右舷にはコウノトリ飛行隊と、第一次世界大戦中の最も著名な両飛行隊のマーキングが施されています。スパッドS7から始まり、ル・ブルージェでは御馴染みの塗装ですね。
ウーラガンは空軍の発注を受けずにダッソー社が独自に設計しました。最初の1機目に自社開発とは凄い冒険ですね。失敗したら即倒産です。1949年に初飛行し、1952年に実戦配備されました。フランス空軍だけではなくイスラエルや、インドにも輸出され、後にはイスラエルの退役機を購入したエルサルバドル(サッカー戦争後に)も本機を採用しています。
右の写真だとかなり後退翼がきつく付いているように見えますが、主翼は前縁のみ軽い後退を持っているものの殆ど直線翼に近く、既に同じニーン系列のエンジンを装備するMiG-15が朝鮮上空で暴れまわっていた事を考えると、登場時には既に時代遅れ感は否めません。性能面では平凡でしたが、射撃時も安定し操縦性も良かったため、パイロットに好評であったようです。
後退翼を持ったミステールの登場もあり、本機は第一線機として活躍した期間は非常に短いのですが、ウーラガンの活躍はむしろ第二線級機になってから始まりました。
1956年のスエズ危機、いわゆる第二次中東戦争ではイスラエル空軍により30機が投入され、エジプト空軍のデハビランド バンパイアを4機撃墜。同じニーン系列のエンジンを搭載した姉妹機MiG-15との交戦においては1機を撃墜。バンパイア1機のみとする資料もありますが、撃墜記録なんてそんなものなので、あまり詳しい数字は気にしない方が幸せです(´ー`)
一方、第二次中東戦争で失われたウーラガンは有りませんでした。あるウーラガンはMiG-15の37mm機関砲の直撃を受けたにも関わらず無事に帰還しています。
続いて1967年の六日間戦争こと第三次中東戦争では、イスラエル空軍における最古参機として40機が投入され、主に地上攻撃に従事しました。この戦争中にもウーラガンより遥かに優れたMiG-21を返り討ちにしています。
第二次インドパキスタン戦争に於いてもインド空軍により戦闘爆撃機として投入されました。こちらは撃墜記録は有りません。
私の中では、戦闘機としてよりも攻撃機として長く活躍したイメージが強い飛行機です。
パトルイユ・ド・フランスの二代目としても使用されました。
・North American F-86K ノースアメリカン F-86K セイバードッグ 1949
日本でも御馴染みノースアメリカン セイバードッグ。AN/APG-37レーダーが収められたレドームが黒光りしています。
フランス空軍ではFIATがライセンス生産した機を62機調達し、1956年から配備され62年にミラージュIIIに代替されるまで運用されました。
日本で使用していたF-86Dはマイティマウス空対空ロケット弾のみを装備しましたが、F-86Kではロケットランチャーが廃止され、20mm機関砲を4門搭載しています。セイバードッグなのに機銃口があるのは違和感が有ります。
もし、F-86A,C,E,Fといった通常のセイバーにも20mmが4門装備されていたら朝鮮戦争でパンチ力不足に悩む事も無かったでしょうにね。
・Republic F-84F Thunderstreak リパブリックF-84Fサンダーストリーク 1950
アメリカのリパブリック F-84サンダージェットシリーズは開発が早すぎたのが災いしました。開発が遅れていたXP-86(F-86)はドイツから戦利品として得られた可変後退翼の利点を適用できたのに対し、本機はそのまま直線翼として就役せざるを得ませんでした。戦闘機としてはF-86に全く及ばなかったため、朝鮮戦争では地上攻撃機として運用されました。
本F-84FサンダーストリークはF-86並みの性能を得る事を目的に、念願の38.5度の後退翼に再設計したタイプです。
結果、F-86Fを速度では上回る良好な性能を見せましたが、就役時には既に朝鮮での戦争は終わっており、フランスを含めたNATO諸国に供給されています。
大きなエアブレーキが目立ちますね。
第二次中東戦争においてフランス空軍は30機強を投入。地上攻撃に従事したほか、エジプト空軍のミーティアを強制着陸させています。Wikipedia日本語版の本機の項目に、第二次中東戦争が唯一の実戦と書いてありますが(2008年12月現在)、これは間違いです。1960年代トルコはF-84Fを使用しイラク北部への越境空爆を行っています。
・Dassault MystereIVA ダッソー ミステール4A 1951
ミステールはウーラガンを30度の後退角を持つ主翼に換装したタイプで、分かりやすく言えばMiG-15やF-86相当機(似てるでしょ?)。私は、MiG-15やF-86よりも、ミステールが好みです。
本ミステールIVAは主翼をさらに38度の後退翼に改め、翼厚比も9%から7.5%へ、胴体も再設計し大型化、エンジンの換装を行ったしたミステール系列の決定版です。
展示されている機はミステールIVAのプロトタイプの一号機で、1953年1月17日の34回目の試験飛行において、テストパイロットのコンスタン・ロザノフ(Constantin Rozanoff)の操縦により、パワーダイブで超音速に達し、フランス機として最初に音の壁を超えた飛行機となりました。
こちらは実用型のミステールIVA。なぜかプロトタイプと実用型の二機展示という高待遇。
機体下部にはDEFA 30mmリボルバーカノンを二門を搭載。1200rpmなので第二次大戦中の7.7mm機銃並みの連射速度です。エアインテーク内部の先端に取り付けられたコーンには照準用測距レーダーが収められており、F-86A〜Fなどと同様、OPLにはリード照準が表示されました。
ミステールにもコウノトリ飛行隊のマーキングが施されています。日本では馴染みの薄い第一次世界大戦ですが、フランスでは大きい存在である事が良く分かります(そりゃ自国内に溝を掘られましたしね)。
ウーラガンと、最初の量産型ミステールIIの後継として、1954年から配備開始。やはりウーラガンと同様にフランスの他、イスラエルやインドに輸出され、実戦の洗礼を浴びています。
イスラエルでは、このダイブで超音速に達する準音速機を歓迎し、スエズ危機ではエジプトのMiG-15を5機撃墜、バンパイアを4機撃墜。平時の衝突においてさらにMiG-17を撃墜。第三次中東戦争では、主力の座をミラージュIIIに明け渡したものの、MiG-17を2機、ハンターを1機撃墜しています。
第二次インド・パキスタン戦争においては、インド空軍により対地攻撃機として使用されています。1965年9月7日の交戦において、対地攻撃任務中の6機のミステールIVAをパキスタン空軍の4機のF-104が迎撃。空対空戦闘においては双方1機ずつが撃墜される引き分けに終わっています。ミステールIVAとF-104というレベルの差から見ると、1対1でも勝利と言いたくなる奮闘です。
第三次インド・パキスタン戦争にも投入されていますが、空対空における撃墜・被撃墜は有りませんでした。
・North American F-100D Super Saber ノースアメリカン F-100D スーパーセイバー 1953
水平飛行で最初に超音速を超えた実用ジェット戦闘機ですが、私の中ではF-100は戦闘機というよりも攻撃機。
スーパーセイバーという名前だけで、セイバーとは無関係。フランス空軍は1958年に最初のF-100を受領しました。後述するシュペル・ミステールもあり、あまり積極的に受け入れられたとは思えません。
ここはフランスの博物館なんで米軍機はどうでもいいの。既に見たことある飛行機ですし(´ω`)y- oO
・Dassault Super Mystere B.2 ダッソー シュペル・ミステールB2 1955
45度の後退翼を持つシュペルミステールはフランス製実用機として最初に水平飛行における超音速飛行に成功した戦闘機。
1955年3月2日に初飛行し、その翌日には水平飛行における音の壁突破に成功しました。実用型は44.1kNの推力を発するスネクマAtar 101G-2アフターバーナー付きターボジェットを単発備え、最高速度はでMach1.12に達しました。
DEFA30mm機関砲2門の固定武装に加え2発のAAM、当時としては比較的多い2.7tまでの外部兵装の搭載が可能です。ただし、武装の外部搭載を行うと超音速を出す事は困難になりました。
1957年よりフランス空軍に配備され始めましたが、ダッソー社のミラージュIIIが56年に初飛行を行い優秀な試験結果を出したため、シュペルミステールの生産数は僅か180機に留まり、二線級の戦闘機として1977年まで運用されました。例によってイスラエル空軍にも採用され、その退役機を購入したホンジュラス空軍から最後のシュペルミステールが退役したのは1996年でした。
さて、恒例となりました?イスラエル空軍における活躍です。ウーラガンを原型とするジェット戦闘機の例に漏れず、やはりシュペルミステールも獅子奮迅の働きを見せています。
1961年にMiG-17をマニューバーキルし最初の戦果を上げ、六日間戦争では35機のシュペル・ミステールが投入され、シリアのMiG-21を2機、エジプトのMiG-17を2機、Il-14を3機の計7機を撃墜しました。シュペル・ミステールは2機が撃墜されています。そして、それ以上に攻撃機として大きな戦果を上げています。
本来、イスラエルにとってはエジプトのMiG-19配備に対する回答として本機を採用したのですが、肝心のMiG-19を撃墜していないのがまた面白いですね。
ミステールがF-86セイバーに似ていたのと同様、シュペルミステールもF-100スーパーセイバーに似ています。容姿だけではなく、武装を施すと超音速を出せなくなった点、すぐマッハ2級戦闘機に埋もれてしまった点、地上攻撃機として活躍した点、どれをとってもF-100とそっくりです。
・Dassault Mirage IIIA ダッソー ミラージュ3A 1956
いよいよ真打の登場です。美しいエリアルールにデルタ翼、フランス戦闘機の代名詞を作ったミラージュIIIです。
超音速戦闘機として開発されたMD.550ミラージュI(ただしパワーダイブでしか音速を超えられずに中止)の発展型として、マッハ2級戦闘機を目指し設計されました。
デュランダル(展示されず。保有はしてるようです)、グリフォン(笑)、トリダン(笑)、ルデュック(爆笑)などの強敵(腹痛ぇ)を抑え、見事にマッハ2級戦闘機として採用されました。展示されている機は実用型一号機です。
日本でもメジャーな機だし現役機ですから、あとは適当にウィキペディアなり戦闘機年鑑なりでも見てくださいΦ(  ̄ー ̄)ノ ゜ポイ
青い床に反射した光を浴びて銀翼が青く輝いています。
もちろん、ミラージュIIIもイスラエルでとんでもない働きをしています。「シャハク」と呼ばれた本機は、六日間戦争においてハンター×5、MiG-17×9、MiG-19×12、MiG-21×15、Su-7×5、Il-14、Il-28の合計38機を撃墜しました。空対空における損害はMiG-17により2機、Su-7により1機が撃墜されたのみ。キルレシオは16:1...。
さらに消耗戦争やヨムキプール戦争(第四次中東戦争)を含むとなんと300機近くのMiGを撃墜しています。さすがにミラージュIIIも二桁機が損耗していますが、ネシェル(ミラージュVのコピー)を加えるならば更に150を加算です。六日間戦争における地上攻撃分を含めれば総計600-700機撃破は確実と言った所でしょうか。
ミラージュとMiGの性能差というよりも、イスラエルの異常なまでの練度と、エジプト・シリアのソ連式防空がヘタレすぎた事が大きな理由であって、機種を丸ごと交換してもイスラエルの勝ちだったであろう事に疑いの余地は有りませんが、ミラージュIIIが米ソの戦闘機と対等以上に戦える性能を持つことを実戦で証明したという実績は揺るぎません。
屋外にもミラージュIIIが展示されていたのですが、立ち入り禁止区域だったので望遠レンズで頑張って撮りました。
おそらく偵察型のミラージュIIIR。垂直安定板に小さなフィンが付いていますが、水平尾翼みたいで可愛らしいですね。
こちらは性能向上型ミラージュIIIE。
で、そのイスラエル空軍の働きのお陰で売れる売れる。1422機が生産され、アブダビ、アルゼンチン、オーストラリア、ベルギー、ブラジル、チリ、コロンビア、エジプト、ガボン、レバノン、リビア、パキスタン、ペルー、南アフリカ、スペイン、スイス、ベネズエラ、ザイール(コンゴ民主)、そしてイスラエル、フランスの合計20カ国で運用され、初飛行から半世紀が経過した現在も幾つかの国では現役です。
私がパイロットだったらF-104やMiG-21よりもミラージュIIIに乗りたいですね。
・Dassault Mirage F1C ダッソー ミラージュF1C 1965
なぜかF1だけは展示されておらず、クリアモデルです。
射出座席はマーチンベイカーMk4。
同F1のThomson-CSF シラノ モノパルスレーダー。
よく見えませんが、アレイアンテナなのかな?レーダーはよく分からんヽ(*´∀`)ノ
マトラ R-530C ミラージュIII、ミラージュF1用の中射程空対空ミサイル。
イスラエル空軍でも使用されましたが、マトラR-530AAMはあまりにも使えなかったそうです。空中戦の殆どがDEFA30mm機関砲によるガンキルでした。さすがリアルエースコンバットのイスラエル空軍です。エジプトとシリアがあまりにも哀れに思えてきました...。
その他F1関連色々(飽きてきた)
・Dassult Mirage 2000 ダッソー ミラージュ2000 1978
1974年。ベルギー・オランダ・デンマーク・ノルウェーの共通次期主力戦闘機選定において、フランスは既に運用実績のあるミラージュF1を提案しましたが、まだ実用されていなかった新型機YF-16に敗れてしまいました。
米国製のF-16や初飛行したばかりの英独イ共同開発のトーネードに対し、ミラージュIIIやF1では戦闘機市場では戦えない事を悟ったフランスのダッソーは、同国の空軍次期主力戦闘機計画と併せ、新型戦闘機の設計に取り掛かりました。
ミラージュF1/F2やミラージュGでは冒険してみたけど、やっぱ俺ら(ダッソー)は無尾翼デルタだよな!!というわけで、ミラージュIIIの血を受け継ぎながらも新機軸の技術を投入、再設計された軽量戦闘機がこのミラージュ2000です。
展示されている白い試験機カラーがとてもステキな本機は試作一号機です。
推力95kNのスネクマM53アフターバーナー付きターボファンエンジンを単発で備え、対抗機であったF-16に匹敵する事が求められました。1975年のプログラムスタートから僅か27ヶ月の1978年3月に初飛行を行いました。このクラスの戦闘機としては異例の速さです。(F-14なんて21ヶ月ですけど) ちなみにF/A-18ホーネットと同い年です。
F-16はともかくとして、フランス空軍でおおむね300機が調達され、他8カ国合計で300機も売れたのですから大成功と言えるのではないでしょうか。しかも最後に本機を採用したブラジル空軍に”フィナル ミラージュ”が引き渡されたのは2008年の8月26日です。
流行に乗って可変後退翼なんてやってしまったトーネードなんて開発国以外ではサウジアラビアに50機程度しか売れていません。
エアインテークのすぐ後ろに小さな翼がついてますね。間近で見るまで気が付きませんでした。
ところで、未だにミラージュ2000って諸国のFXに名が出てくるんですよね。この先、ミラージュ2000の採用を決める国があるかもしれません。
一方ラファールは...誰かラファールを買ってあげて!名前が違うだけであれもミラージュだから!!
私ラファール見たことがありません。この博物館見学の翌日に見学を予定していたイギリスのRIATにて地上展示予定だったのですが、見事に居ませんでした。というかエアショー自体がキャンセル...(つд`)
■屋外展示
ル・ブルージェ航空宇宙博物館は、屋内に収納しきれない、主にフランス以外の国が製造した機体を屋外に展示しています。
どうやら博物館の敷地外に別の格納庫を持っているようで、定期的に展示機をローテーションしているようです。
つまり、一度訪れただけでは、全ての保有機を見る事が出来ません。拡張工事が望まれます...。
光量不足に悩まされずに済むとはいえ、屋内展示機に比べると、やはり塗装の状態があまり良いとは言えません。
・Fouga Magister フーガ マジステール 1952
V尾翼が特徴的なマジステールは、私の好きな飛行機の一つです。
フランス空軍のアクロバットチーム、パトルイユ・ド・フランスの塗装が施され、「ルクラテマン・インテルメディエール」と呼ばれる空中開花状態で展示されており、今にも動き出しそうな雰囲気です。本展示は博物館の入り口に設置されています。浜松広報館のF-86ブルーインパルスみたいですね。
フランス空軍のアクロバットチームの歴史は長く、第一次世界大戦後から始まりましたが、「パトルイユ・ド・フランス」と呼ばれたチームは最初F-84Gで編成されました。次にウーラガン、そしてミステールと機種を改変、そして1964年に本機マジステールに改変され、1981年にアルファジェットに変更されるまで使用されました。
なかなかマジステール時代のパトルイユ・ド・フランスの動画を見かけることは出来ません。一度フル演技を見てみたいものですね。
初飛行52年の旧型機ですから、フレッチェ・トリコローリやスノーバーズのように、機体性能の低さをばねに、演技で魅せる内容だったんでしょう。非力なマルボレIIターボジェット推力3.9kNを双発搭載かつ、ウィングチップタンクを搭載したままで、どこまでアクロバットが出来たのか興味深いところです。
なお、パトルイユ・ド・フランス以外にブラジル空軍エスカドリラ・ダ・フマサ(現在ツカノを使用)、アイルランドのシルバースワローズ(解散)、ベルギーのレッドデビルズ(解散)、イスラエルアエロバティックチームと、多くのアクロバットチームに使用されました。
まーたイスラエルか。って感じですが、やはり他のフランス製ジェットと同様に中東の無法者イスラエルによって中東戦争に投入され、大きな戦果を挙げています。
イスラエルではツズキット(Tzukit)と呼ばれたマジステールは、爆弾かロケット弾ポッドを2発のみ搭載と、ペイロードは少なかったものの、六日間戦争中にはヨルダン軍の戦車師団に対して攻撃を行い、装甲車両70両、戦車50両を破壊しました。
ジェット練習機を軽攻撃機化した機種の走りとなった本機は、イスラエルでは練習機として2009年現在現役です。
・Saab J32E Lansen サーブ J32E ランセン 1952
スウェーデン サーブ製の複座戦闘攻撃機。
スウェーデンは第二次世界大戦勃発前から独自の戦闘機を開発し、技術力を高めていました。第二次大戦後期に生産されたバンパイアと震電を足して割ったような形状のレシプロ戦闘機サーブJ21という機を、ほぼそのままジェット化したJ21Rによりジェット戦闘機の経験を積み、次に後退翼を採用したビヤダルのようなJ29トゥンナンを設計。そして、本機ランセンは1953年10月25日にパワーダイブ中に音の壁を突破。スウェーデン最初の超音速到達機となりました。フランスのミステールから遅れる事8ヶ月。さすがスウェーデン。小国ながらその技術力は侮れません。
展示されているJ32Eは電子戦機型です。G24ジャミングシステムを装備しており、Lバンド、Sバンド、Cバンドの帯域に対応できました。
今のレーダーはもう少し周波数が高いXバンドを使っています。
電子戦機というから、お腹のでっぱりはレドームとばかり思っていたのですが、どうやら燃料タンクのようです。じゃあ、どこに発信アンテナがあるのでしょう?
4門のアデン30mm機関砲がそのまま残されており、なかなかの強武装です。どちらかと言うと攻撃機的性格の強いランセンですが、戦闘機型も配備され、運用されました。
・Lockheed F-104G Starfighter ロッキード F-104G スターファイター 1954
ルフトバッフェのF-104G。見慣れたはずのスターファイターも、塗装が違えばまた新鮮です。
F-104Gはご存知戦闘攻撃機型。916機が西ドイツ空軍において運用され、そのうち292機が墜落し、110人のパイロットが殉職するという凄まじい後家製造機っぷりが有名です。
主な理由は二つ。米国アリゾナの砂漠で訓練を積んだドイツ人パイロットが、天候不安定な欧州に慣れていなかった事。任務の性格上、低空を飛行する必要性が有った事です。よって、事故が多発した原因はF-104のせいであると単純には言えません。
が、対地攻撃機はIl-2やA-1、A-10に代表されるように、多少低速でも、機動性に優れ、頑丈で被弾に強く、ペイロードが大きいことが重要なのに、F-104は何一つそれを満たしていません。そもそも、高高度迎撃戦闘機として最適化された機体を、近接航空支援や航空阻止任務に当てた事自体が何か間違ってるとしか。最初から多用途を目的に設計されたミラージュIII使ったほうが良かったんじゃ?
とは言え、F-104にはミラージュIIIを上回る上昇性能が有ります。”第三次世界大戦”の最前線になるであろう事は確実でしたから、本業の迎撃戦闘機と言う点では適任ではありました。
ドイツ語と英語の表記が混じっています。現用のトーネードも同様に英独語で書かれています。
なお、三菱重工でライセンス生産されたF-104Jは、F-104Gの攻撃力を削いだ派生型の一種です。
F-104に関しては一通り見ただけです。だってF-104自体は日本にも有るのですから、貴重な時間を掛けてられません。
そんなことよりフランス機です。フランス機。
・МиГ-21Ф-13 MiG-21F-13 1956
後ろのミラージュIIIと同様、遠いところに隔離されていました...。
風防の形状と機首が細くなっているシルエットからしてMiG-21F系っぽい。どうやらMiG-21F-13のようです。初期に生産されたMiG-21の一つ。F型は二門あった機銃が一門に減らされ、かつK-13 ”AA-2アトール”の運用能力が付加されたタイプです。もちろん走査のできるレーダーなど搭載していません。
ミラージュIIIやドラケン、F-104は世代的にはほぼ同一で、どれも軽量戦闘機ではありますが、それぞれまったく違う設計思想ですね。
ラウンデルはチェコ空軍のものです。
・Saab J35A Draken サーブ J35A ドラケン 1955
むっほードラケン居るし(´д`*)
ランセンにて降下中とは言え超音速に達したサーブは、F-100、MiG-19、シュペル・ミステール相当をすっ飛ばして一気にマッハ2級戦闘機の開発しました。どれも「とりあえず音速超えてみた」的な戦闘機で、すぐにいらない子扱いされてしまったので、冒険では有りますが結果的に小国スウェーデンの独自の選択は成功したと言えるかもしれません。
ドラケン以降のスウェーデン戦闘機は、なぜか日本で人気が高いですよね(ビゲンはそうでもないか)。
ダブルデルタ翼の独特のスタイルに魅了されてしまうのも頷けます。戦闘機が速度の限界に達した50年代はドラケンを筆頭にステキな戦闘機が多いです。この博物館に展示されているものだけでもドラケン、ミラージュIII、ミラージュF1、F-104、F-8...ああ、凄い。無限に進化してゆく戦闘機の夢と希望に満ち溢れています。この頃からのご年配の戦闘機マニアは羨ましいですね…。
それに比べ現代機はユーロファイター、A-12、YF-23、X-32、MQ-1、MQ-9、F-35、A/T-50、ベルクト、MiG-1.44、殲10...(゜д゜)
うわああああ絶望的にダッセーのばっか。夢が無い!希望も無い!
これだからステルスに基づいたデザインは嫌だ。(つд`;)
空自がEF2000やF-35なんて、特に特に特にダサいのを導入したら飛び降りるわ。
だからお願い。F-14FXスーパートムキャ(省略)
(個人的な偏見で書いています。かみそりの刃や爆破予告は間に合ってます。やっぱ飛び降りません。)
上から。内翼は80度、外翼は60度と、とても強い後退角を持っていることがよく分かります。それでいて低速時の操縦性は良かったとか。ただ、外翼は失速しやすく、失速後は強い機首上げモーメントが働くため離着陸時は大変危険だったようです。キツイ後退翼を持っている飛行機らしい欠点です。
この外翼の失速しやすい特性を活かしてコブラもどきのアクロバットもできたそうです。ようつべに無いかな。と、探してみたら有りました。
機動のインパクトよりも、エンジンストールが心配です。
地面とのクリアランスが殆ど有りません。いかにもテイルストライクをしそうな形状ですが、それを防ぐために補助のテイルホイールが付いているはずなのですが、ドアは開いているのに肝心のホイールが見当たりませんでした。
ドラケンは機体設計の斬新さだけではなく、今では当たり前となった走査と追尾、射撃を一体化し管制を行うFCS、PS-01レーダーを搭載し、さらには標的への誘導を行う防空データリンクシステム(スウェーデンが世界初でアメリカのSAGEより早い。)を装備するなど、ほぼ同世代のMiG-21よりも遥かに優れたシステムを搭載していました。ただマッハ2を出せると言うだけではなく、充実したシステムを搭載していると言う意味で、世界最初の近代戦闘機の一つであると言っても過言では無いでしょう。
一見すると近年の戦闘機に勝るとも劣らない滑らかな主翼に見えますが、近づいてみると、やはり50〜60年代らしさを感じる事もできます。
エンジンはロールス・ロイスのAvon300アフターバーナー付きターボジェット推力78.5kNをスベンスカ・フリーグモーターがライセンス生産したRM6Cです。
さすがにエンジンの自力開発は行わず伝統的に他国のものを使用していますが、それでも小国がライセンス生産できること自体が凄いですね。プッシャー式戦闘機のJ21はDB605をライセンス生産、先行して数基をドイツより輸入しましたが、レジスタンスの破壊工作の一環で、シリンダーに砂が混入していた事もあったそうです。J22はツインワスプを「戦時の事情」により無断コピーし、戦後P&Wにライセンス料を自主的に支払っています。スウェーデンは大戦には参戦していませんが、周辺国全てが戦時下ですから、やむを得なかったのかもしれません。
トゥンナンはデハビランド ゴーストをライセンス生産。ランセンはドラケンと同系列のA/B無しロールスロイス エイヴォンをライセンス生産。ビゲンはP&WのJT8Dをライセンス生産(ここまで、全て民間用ジェットを原型)。グリペンはGEのF404を再設計したものをライセンス生産。そしてグリペンNGもGEのF414をボルボ・フリーグモーターがライセンス生産することが見込まれています。
ル・ブルージェ航空宇宙博物館はトゥンナンとビゲンも隠し持っていたようです。見たかったな〜。
・Republic F-105G Thunderchief リパブリック F-105G サンダーチーフ 1955
おお、くびれ酋長のサッドまで有るとは。F-105は私の中ではシャークティースの似合う戦闘機ナンバーワンです。大型戦闘爆撃機としてベトナム戦争では対地攻撃の主力となった事は広く知られています。
ベトナム戦争における20,000ソーティーの任務で、全生産数833のうち約半数の382機が失われました。
なんと言う細長い胴体。全長は19.63mなので殆どF-15と変わらない大型機の部類に入ります。俗にくさび形と言われる主翼付け根のエアインテークもユニークですね。
本F-105Gは複座のSEAD仕様機のためAN/ALQ-105ジャミング装置を左右両舷に取り付けられました。そのせいで細い胴体を更に絞り込んだエリアルールが台無しになっています。F-105はその胴体の細長さから、俗に”コーラのビン”などと呼ばれていたようです。
戦闘機にしては珍しくウェポンベイを備えていますが、これは核爆弾を搭載するためのものであり、本来の目的に使用されること無く燃料タンクスペースとして潰されてしまいました。特にF-105GのようなSEADを任務とするワイルドウィーゼル機は、ストライクパッケージの先頭を飛行する”一番槍”であると同時に、最後に飛来する爆撃効果判定を行う写真偵察機が撤退するまで上空援護を行う”殿”でもあり、場合によっては作戦後に行われる戦闘捜索救難における上空援護を実施するため、燃料タンクの増設は非常に重要な改装でした。ストライクパッケージの通過時間などせいぜい10分程度ですが、その間ミリタリー推力、必要ならアフターバーナーを使用しますから、燃料の消費量は半端では有りません。
と、言うわけで、テイルレターWW”Wild Weasel”の展示機は外部燃料タンクまで搭載しています。
AIM-7スパローを原型にしたAGM-45シュライク対レーダーミサイルと、スタンダード艦隊空ミサイルを原型にしたAGM-78スタンダード対レーダーミサイルを主武装にします。シュライクは射程が短く、どうしてもSA-2のファンソングレーダーのレンジに踏み込まないと攻撃できない上に、速度も遅く大変危険でした。さらに精度も低く、防空レーダーを止められてしまうと誘導不可能、弾頭も威力不足と、弱点も少なくありませんでした。しかし、それでも従来の無誘導兵器を使用した防空網征圧”アイアンハンド”より遥かにマシでした。
スタンダードはシュライクと同じシーカーを使用していましたが、射程と弾頭、速度の弱点は解消されています。が、非常に高価であったため、両者が併用されました。
F-105は推力偏向パドルを装備し、ポストストール機動が…というのは嘘ですが、X-31みたいですね。
一時期F-100に代わりサンダーバーズで使用していましたが、アクロバット向きとはいえない「爆撃機」で、よくやりました。エアショー中の墜落事故と、他の飛行隊での墜落事故が重なり、僅か6回の展示を行ったのみで再びF-100に戻されてしまいました。さぞ、妙技とは無縁の「スピードバカ」な演技だったことでしょう。
・Dassult Etendard IV M ダッソー エタンダールIV M 1958
シュペル・エタンダールかとおもったらエタンダールIV Mらしいです。
シュペル・エタンダールとの見分けは機首を見れば一目瞭然です。エタンダールは申し訳程度の小さいレーダーしか搭載していないため機首が尖がってます。対するシュペル・エタンダールは、レドームが大型化しF-4ファントムのような丸みを帯びたシルエットになっています。
機首部のフィンは何なんだろうと思ったら、AS-20無線指令誘導ASM用の送信アンテナだそうで、これはエタンダールIV Mのみで他のシリーズには有りません。
主翼端だけ申し訳程度に折り曲げるのはどこか零戦を彷彿とさせます。
垂直安定板に取り付けられたピトー管がユニークです。小型軽量といえどもさすがに艦載機。がっちりとした降着装置をもっています。アメリカの艦載機とは違いシングルタイヤなのはちょっと違和感を感じてしまいます。
後継のシュペル・エタンダールを含め、戦闘攻撃機としてかれこれ40年近く艦上にありますが、ラファールMへの代替が間近と成っています。
・Vought F-8P Crusader ヴォート F-8P クルーセイダー 1955
飛行場の向こう側。ネプチューンと一緒。(´;ω;`)
エタンダールがシングルタイヤってことはフランスのF-8Nクルーセイダーもシングルタイヤになってるのかな?と、思ったらやっぱりそうでした。
てか、この写真アメリカの空母に着艦しようとしてる...。さすがに3番ワイヤーを捕らえてませんね。発艦時にはローンチバーに接続できませんから、ブライドルワイヤー使うんでしょうか。(調べてみたら米海軍仕様でもシングルタイヤとダブルタイヤ仕様のF-8があるようで)。ラファールMはダブルタイヤ化しています。
ミラージュ4000はあまり触れられたくない歴史(?)でしょうからともかく、なんで屋外なんでしょう。エタンダールと言い、ル・ブルージェ航空宇宙博物館は海軍に冷たいですね。そういえば、戦後すぐはコルセアやスカイレーダーも運用していたはず。それすら展示してないとは。
・МиГ-23МЛ MiG-23ML 1967
ル・ブルージェの展示の中では、ミラージュGと並び数少ない可変後退翼機のMiG-23。
ですが、この日は、おフランスの飛行機を見に来たんであって、ロシア機の気分じゃないのです。
それに、何度も見たことがありますしね。貴重な時間をMiGに潰してられません(んまー贅沢!)
MiG-23MLは目視外交戦能力をしたタイプ。レーダーの探知距離は最長で80km。またルックダウン能力も獲得しました。
しっかしキャノピーが酷い…。
■コンコルドホール
ル・ブルージェ航空宇宙博物館には、英仏が誇る唯一の実用SSTであったコンコルドも展示されています。
「唯一の実用SST」とか書いてしまいましたが、投資を無駄にしたくないから辞めるに辞められず、殆ど採算無視で嫌々運行していたコンコルドが、果たして実用的であったかどうかは評価が分かれるところです。早期に退役したTu-144の方がまだマシだったと言えなくもありません。いや、需要なしと計画を中止してしまったボーイングやロッキードこそが勝ち組みだったのかも…。
ううん。違うの。コンコルドは音よりも速い旅客機という「夢」を作ったわ!コンコルドは夢の無い無個性なワイドボディとは違うの!
本格納庫には、そんな夢のコンコルドが2機と、夢もへったくれもない戦略核爆撃機ミラージュIVが展示されています。
・Aerospatiale BAC Concorde アエロスパシアル BAC コンコルド 1969
うわ〜本物のコンコルドだ。どういう訳か先にパチモンに縁があったのですが、やっぱカッコいいですね(偽者もカッコよかったけど)。
写真機はコンコルドプロトタイプ一号機(F-WTSS)です。フランスのシュド(シュドエストとシュドウェストの合併企業)とBACの「Concord:協調号」は、なぜかパチモンより遅れる事3ヶ月、トゥールーズにおいて1969年3月2日に初飛行、10月1日に最初の超音速飛行を行いました。(ちょうどこの年、シュドはノールと合併しアエロスパシアルとなっています。)
いま、この文章を書いているのは2009年3月ですから、初飛行から40年が経ったのですね。40年前はまさか21世紀初頭になってもコンコルドの後継超音速機は登場しないとは思いも拠らなかった事でしょう。
多くの人は2009年頃には極超音速旅客機(HST)が世界の主要都市を結んでいるに違いないと思ってたのではないでしょうか。現実の新型機はマッハ0.8程度の300人乗り効率重視の中型機なのですから嫌になっちゃいますね。
”エクリプス・ソラール”日食をモチーフとしたアート。1973年6月30日、本機は皆既日食を追いかけるという超音速機ならではのフライトを実施しました。地上で観測された皆既日食継続時間は7分3秒。20世紀中最長で2150年6月24日まで更新されることの無い記録的な日食でしたが、本機に搭乗した天文学者は75分もの間皆既日食を観測しつづけました。日食の軌道とフライトの航路が描かれています。
同73年10月19日、全合計812時間の飛行を終えた本機はル・ブルージェへのラストフライトを行い、以降博物館に展示されています。
同じ格納庫内に重なり向かい合うように展示されているエールフランス塗装の本機は量産型13号機のF-BTSD通称”シエラデルタ”。1978年6月26日に初飛行し、コンコルドの全機運航停止が決まった後の2003年6月14日、パリエアショーの前日に本ル・ブルージェへのラストフライトを行いました。シエラデルタは合計5135回12974時間を飛行しました。就役機の中では少ない方で、最も飛行したコンコルドはブリティッシュエアウェイズに就航した量産型10号機G-BOADの23397時間。こちらはニューヨークのイントレピッド海上航空博物館に展示されています。
コンコルドは試作機・試験機が4機、就航した実用型が16機製造されました。うち事故で失われた1機とスクラップになった1機を除き、イギリスに7機、フランスに6機、アメリカに3機、ドイツとバルバドスに1機の18機が現存しています。
さすがコンコルド。引っ張りだこですね。
ロールスロイス・スネクマ オリンパス593 アフターバーナー付きターボジェットエンジン。オリンパスは元来アブロ・バルカン用に開発されました。
(ブリストルはコンコルド開発中にロールスロイスに買収されました。)
既存機を除き60年代には既にターボファンの時代になっていましたが、マッハ2での効率を求め、あえてターボジェットを選択しました。なお、パチモンはターボファンで大失敗し、後にターボジェット(A/B無し)に換装されています。
アフターバーナー付きエンジンを搭載した大型機は高バイパスターボファン搭載機とは異なった迫力が感じられます。
左の写真が1号機、右がエールフランス塗装のシエラデルタです。どちらもオリンパス593を搭載していますが、量産機にはより強力なオリンパス593-610が装備されています。特にドライ推力が89kNから142kN(A/B時136kN→169kN)と向上。Mach 1.7程度でA/Bをカット、2.0までA/Bを用いず加速・巡航します。
見た目の点においてもノズルの形状が全然違いますね。一号機にはスラストリバーサーが装備されていません。
コンコルド独特の高迎え角をとった離着陸において、エンジン及びテイルストライクを防ぐための尾輪。
他の旅客機のテイルスキッド同様、あくまでも予防的措置のための装置です。コンコルド様にテイルスキッドは似合いません。
滑らかな胴体に、流れるようなオージー翼。実に美しいですねえ。
飛行機知識ゼロの人にA380とコンコルドを見せて、どっちが新型かと問題を出したら、コンコルドのほうが勝ちそうな気がしてなりません。
さて、コンコルドの中に入ってみましょう。ル・ブルージェ航空宇宙博物館自体は入場無料ですが、コンコルドと屋外展示されているB747に搭乗する場合に限り5ユーロの入場料を支払い、ティケ(チケット)を買わなくてはなりません。博物館入ってすぐの正面エントランスでチケットを販売しています。
自動改札のような機械のセンサー部にバーコードが書かれた面をかざすと入場できます。が、改札が壊れてて人が管理してました。格納庫に入ったとたん、係員に静止されてフランス語で話し掛けられました。首を傾げてると英語に切り替えて何か言ってますが、英語でも全っ然わっかりません(えっへん)。 たぶんチケットを持ってるのか、持ってないとコンコルドには乗れないとか言ってたんだと思います(分からなくても心は通じる)。
1号機の尾部から乗りこみ機首部のタラップを通じてシエラデルタへ、そして尾部から降ります。
こちらは試作機。噂には聞いていましたが酷く狭いです。天上が低く、まるでコミューター機に乗っているようです。
コンコルドは他の旅客機の倍近い60,000ftもの高空を飛翔するため、宇宙線による被曝を計測するガイガーカウンターが備えられています。放射線の強さによっては必要に応じて降下しました。もちろん、一回のフライトにおける被曝量などたかが知れていますが、ふつうの旅客機でさえ乗員の被曝が問題になっているのですから、コンコルドは尚更です。
量産機。ファーストクラス並みのチケットでも座席はエコノミークラス並み。狭すぎる。
触れると暖かさを感じる事で有名な三重窓は量産型のほうが小さく成形されています。
左の写真が試作機、右が量産機。中に入る事はできませんでしたが、コックピットのレイアウトがずいぶんと異なっています。試作機の中心部の円形の計器は何なんでしょうか。
ちなみに、シエラデルタはまだ生きています。
すげー。一部動態保存とか。どんだけ維持費掛けてるんだ。
この情熱(!?)は日本も見習うべき。でなきゃ税金の払い損です(笑)
ところで、ル・ブルージェを訪れた翌年の2009年4月1日、AFP通信はその年のパリエアショーにてコンコルドの展示飛行が実施されると報道しました。もちろんエイプリルフールの嘘で、AFP通信が見事に引っ掛かってしまったのですが、ただの冗談ではなく、まだ生きているコンコルド シエラデルタを再び空に戻したいという強い気持ちが感じられました。実現するといいなあ。
続いて左の写真が試作機、右が量産機。
コンコルドのオージー翼(というかデルタ翼一般)は、それ自体が巨大なボルテックスジェネレーターになっており、高迎え角を取る無数の渦が発生し失速を防ぐ役割があります。コンコルドが悪天候時の離着陸を行う写真や動画を見ると、主翼一面をベイパーが覆っているのものをよく見かけますが、まさにそれはオージー翼の効果なのです。
試作機。量産機と全然顔が違います。バイザーはどうなってるんでしょう。
ところで、この格納庫とても暗いです。もうちょっと光量が欲しいところ。殆どシャッター速度一桁で撮影しています。
いやー本当コンコルドは美しいですね。間近で見る事ができて幸せでした。
皆さんご存知のように、コンコルドは2000年に発生した墜落事故を契機に2003年で全機の運航が終了しました。
元々赤字垂れ流しのメンツに拘って運航していただけの商業的に大失敗であった本機ですから、仮に事故が無かったとしても、一時はバレル200ドルを越えるのではないかとすら言われた昨今の原油高ショックを乗り越える事ができたとは思えません。必要とされていなかったコンコルドは、遅かれ早かれ消える運命にありました。
2005年6月ここル・ブルージェで開催されたパリエアショーにおいて、日仏合同で300人乗り規模の超音速旅客機の実現に向けた基礎研究を行う事が発表されました。2007年には当初の予定であった3年間をさらに3年間延長し2011年まで行われる事が決まっており、日本ではJAXAが主導しています。
いずれコンコルドに次ぐ超音速旅客機、恐らく静粛超音速機(QSST)になると思われますが、それが何時実現するのかが楽しみです。気長に待ちましょう!
・Dassult Mirage IV A ダッソー ミラージュIV A 1959
夢が溢れんばかりの美しき超音速旅客機を堪能した次は、死の大量破壊兵器を運ぶ超音速戦略爆撃機と行きましょう。
ミラージュIIIを原型に大型・複座化したのが本機ミラージュIV。その唯一の任務はソビエトに核爆弾を投下する事でした。NATOとは距離を取り独自の防衛体制を構築していたフランスにおける、核抑止三本柱の一つとして開発されました(残りの二つは後ほど登場します)。
速度においてはTu-22MバックファイアやB-58ハスラーを抜いて実用した戦略爆撃機の中では最高速のMach2.2 2,238km/hを誇ります。しかし、作戦行動半径は戦略爆撃機としては異様に短い1,250kmしかありません。そのままではフランスから発進した場合は現在のバルト三国、ベラルーシ、ウクライナまでしか届きませんでした。
機首先端に延びるブームはピトー管ではなく空中給油装置で、いちおうは空中給油を行う事でソ連領奥深くの都市やミサイルサイロへの爆撃が可能という「建前」はありました。しかしパイロット達は、この機が実戦で使用される事になった場合は「片道旅行」になるであろう事を覚悟していたようです。
胴体下の半埋め込み型の爆弾倉にAN-11およびAN-22原子爆弾(無誘導70キロトン)を一発搭載します。後にASMPスタンドオフ巡航ミサイルの装備能力を得た改修型のミラージュIV Pが登場しました。ASMPとはAir Sol Moyenne Portee.すなわち空対地中距離という実に半端で面白くない名前の略称で、300キロトンのTN81弾頭を備え、ラムジェット推進で最高速度Mach3、射程250kmを誇ります。
手前のレドームにはトムソンCFS製サーバル航法・爆撃レーダーが収められています。通常この手のレーダーは機首部に設けられますが、上記のとおり機首部には空中給油プローブを備えてしまったため、このような珍しい配置の仕方をしています。
シルエットを一見すると戦闘機のようですが、近くで見るとその巨体が戦闘機のものではない事が実感できます。大人が一人、身を屈める事無く機体の下にもぐりこめてしまいます。
ちなみに左のワイシャツの兄ちゃんがコンコルドホールの番人さんで、コンコルドの項で触れた私にフランス語で話し掛けてきた人です。
格納庫を出るときに「おフランスのアビョンはトレビアンでした。メルシー、オルボワール」と、知る限りのフランス語を並べて挨拶してわかれました。ニコニコしながら「メルシームッシュ オルボワール」と返してくれました。(´∀`)
原型ミラージュIIIの面影は殆ど見られません。主輪はダブルタイヤをタンデムで備え、本機がまぎれも無い爆撃機である事を証明しています。
幸いにしてミラージュIVが本来の「片道旅行」任務が行われる事は一度も無く、実任務はイラクやボスニア、アフガニスタンにおける偵察飛行に投入されただけで終わりました。偵察任務では6個の光学カメラと1個のマッピングカメラ、1個の赤外線カメラを備えたCT-52偵察ポッドを、やはりウェポンベイに半埋め込みで搭載します。
2005年に全機が退役し核攻撃任務はミラージュ2000に引き継がれました。
■その他
ここまで紹介できなかった機やその他の宇宙ロケット、ミサイル、民間機、研究機などを掲載したいと思います。
・S3 SSBSとM20 MSBS
核抑止三本柱のうちの残りの二つです。
左が潜水艦発射弾道ミサイル(SLBM)です。MSBSはMer Sol Balistique Strategique(海・地・弾道・戦略)の略。弾頭は1メガトンで、現在ではすべて退役済みです。
右がS3 SSBS。射程3500km、地上発射型の中距離弾道弾(IRBM)で、フランスが装備する最も強力な1-2メガトンの水爆弾頭を持ちます。
SSBSはSol-Sol-Balistique-Strategique(地・地・弾道・戦略)の略。
ARIANE 4 / ARIANE 5 アリアン4 / アリアン5
アリアン4は、初代アリアン1の派生型で、1988年の初打ち上げから116回の打ち上げ実績があり、うち失敗は僅かに3回のみと、世界で最も信頼性の高い商用ロケットとして知られています。
写真のアリアン5は完全に新規設計された新型のロケット。アリアン4とは全く形状が違いますね。こちらも96年の最初の打ち上げから2009年現在43回打ち上げを行い、41回成功と、高い成功率を誇ります。
我が国のH-IIもアリアンのような高い信用を誇る商用ロケットになって欲しいものです。
Boeing B747-128
展示されているB747-128 F-BPVJは、747のほぼ初期のモデルで、1972年10月26日に初飛行し、1973年3月14日から2000年2月10日までエールフランスにて活躍しました。総飛行時間は50,000時間。退役後は内部を展示用に大幅に改装し、2003年からル・ブルージェで公開されています。本機はコンコルドとの共通のチケットを購入する事により、内部の見学が出来ます。
-400以前の747を「クラシックジャンボ」と言いますが、こういうゴチャゴチャしたアナログチックのコックピットって最高にカッコいい。
さすが747。コンコルドとは正反対に広々としています。
・S.N.C.A.S.E. SE 210 Caravellel シュド・エスト国立航空機製造会社 SE210 カラベル 1955
(Photo:ゆりあんさん)
シュド・エスト カラベルは、フランスが生産した最初のジェット旅客機。第二次世界大戦の被占領で遅れをとり、シュド・ウェストのトライトンから始まったフランスのジェット機技術もついにジェット旅客機が造れるまでに成長しました。
カラベルはデ・ハビランド コメットの兄弟機で、胴体はほぼそのまま設計を流用しています。コメットとの最も大きな違いは、やはりエンジンの配置と主翼の形状でしょう。カラベルは後に多数が設計されることになる、胴体後部にエンジンを束ねたリアエンジン旅客機の走りになりました。
カラベル全型総生産数は279機と、傑作と呼ばれる旅客機の中ではそれほど多くは有りませんが、むしろその名声は設計の斬新さにあったと言っても過言では無いでしょう。21世紀現在、未だにカラベルと同様の機体リアエンジン機が多数新規設計されています。ちなみにエンジンはサーブ ドラケンと同系列のロールスロイスAvonです。
エンジンポッドから開放された主翼もジェット機にしては浅い前縁の後退翼で、後縁も後退角が殆どなく、翼弦長の変化が非常にゆるやかです。さらに二枚の境界層制御板をもち、見るものに独特の印象を与えます。
また、おむすび型の窓も面白い特徴ですが、これはコメットで多発した空中分解事故の原因が繰り返し与圧を受けた事による金属疲労により、窓枠の角から亀裂が生じ分解に至った事を教訓として取り入れた結果です。軍用機でよく見られる丸い窓は、旅客機ではあまり好まれない好まれないため(軍用のコメットは丸い窓だった)、このような形になりました。今では角を丸くした四角が主流ですが、試行錯誤の時代だったのです。
本機はカラベルTYPE12と呼ばれる最後期生産型で、初期型の倍近い最大140人のペイロードを持ちます。
・Dassault Mercure ダッソー メルキュール 1971
(Photo:ゆりあんさん)
メルキュール=水星の名を持つ本機は、一言でいえば史上最大級の大失敗ジェット旅客機です。
超音速機やワイドボディが次々と登場する中、本機は比較的狭い範囲内で、あまり需要の無い路線を100席程度の小型機で高速で結ぶという、今で言うところのリージョナルジェットとして開発されました。
考え方は悪くありませんでした。しかしメルキュールは異常に足が短かったのです。なんとフルペイロードにおける航続距離は600km!東京〜大阪間ですらいっぱいいっぱいです。「フランス外に出られないジェット」などという不名誉なあだ名まで付けられてしまいました。日本よりも「外国」がより近いフランスの地理感からです。
もちろん、全く需要が発生せず、航続距離延長型も計画されましたが早々に見切りをつけられ、コンコルド以下の僅か12機しか生産されませんでした。いったいどういうマーケティング調査をしたのか疑問で仕方がありません。
唯一本機を購入したAir Inter(エールアンテール)は、殆どフランスの国策企業のようなもので、やはり国内の都市を結びました。
S.N.E.C.M.A. C-400P-2 ATAR VOLANT スネクマ C-400P-2 アター ボラン 1957
C-400は、スネクマ Atar101ターボジェットエンジン スラスト27kNを単発備えたVTOL研究機です。アター・ボランとは、空飛ぶアターエンジンの意(多分)。P-1とP-2、P-3、C-450の四つのタイプが製造され、展示されている機はP-2です。P-1はリモート操作で、P-2以降は頂点に搭載されたエジェクションシートに人が搭乗し操縦しました。なんか、飛行中に倒れそうで、お世辞にも乗りたいとは思えません。そして4号機のC-450は実際に墜落し、パイロットは重傷を負い、以降計画は中止されました。
もし、ルデュックかアター・ボランどちらかに乗れ。とかいわれたら絶望のあまり、目の前が真っ暗になってしまいそうです。
PAYEN PA-49 KATY パイヤン PA-49 ケイティ 1954
まるで未来SFに出てくる個人用ジェット機のような容姿を持ったPA-49ケイティは、デルタ翼特性の研究機です。ニコラ・ローラン・パイヤンが設計し、フランスで製造された最初のデルタ翼機となりました。初飛行は名機ミラージュIIIの原型となったミラージュIよりも1年半ほど早い1954年1月22日でした。ジェット機にしては珍しくギアの収納機構をもたず、カウリングされています。
Hurel-Dubois H.D.10 1948
アスペクト比30というとてつもなく細長い主翼を持つ本機は、その形状どおり高アスペクト比主翼の研究機です。全幅は12.0mもあります。
1948〜54年の間に200時間の試験が行われました。
HIRSCH H100
急な突風を受けた場合にその力を緩衝する「absorbeur de rafales(アブソーバー ド ラファール)」の効率を評価するために造られました。
機首のラインが百式司令部偵察機にそっくりですね。
■コーヒーブレイク (*゜ー^)_旦 その2
紅茶にフランスパン、クロワッサンと、典型的なコンチネンタルブレックファースト。うっかり写真撮るのを忘れて一口食べてしまいました(笑)。
私はどちらかというと、暖かい料理の出るイングリッシュ・ブレックファーストの方が好きです。
美しいパリの街並み。雑多な東京とは全く違います。ほんとヨーロッパの都市ってセンスが良いよなあ。一方日本は全く統一されずに乱立するビル、蜘蛛の巣の如く空を覆い尽くす電線…。ああ、嫌になる。
てか、噂には聞いてたけど、路上駐車が凄い。どうやって出すの? しかも、ヨーロッパ車はMTが基本です。
すすめ=青の既存概念が有りますから、信号が変わったのに気が付かない事が有りました(笑)
ホンダのシビック。全然スタイルが違います。
フランスでも警察のバイクは白バイなんですね〜。しかし、バイクに乗るわりにはずいぶんとラフな格好ですね。
おお、パリにも東京タワーが有ったんだ! とか、つまらないボケをかましてエッフェル塔。
一見昼間に見えますが、現地時間午後10時です。パリは緯度が高いため夏の日照時間が長く、イギリスと同じ時間なんてヤダヤダというフランス人は1時間時計を進めている上、夏時間で+1されていますから、とんでもなく昼の時間が長いのです。
エッフェル塔前の橋から。セーヌ川です。なんか大声出して叫んでます。
シャンゼリゼ通りから凱旋門。こんなに大きなものだとは思いませんでした。パリの観光資源はホント凄まじいなあ…。
スターリングラード(´ー`;)
対独戦の勝利を記念して付けられました。
開館時間の10時過ぎても誰も入ろうとしない。開館を待ってるのかと思ったら、ただの団体さんでした(ノ▽`)
まだまだ、おわらんよ?
航空宇宙博物館 パリ ル・ブルージェ 2008年夏 その3
Musee de l'air et de l'espace (ミューゼ ド
レール エ ド レスパス) - Le Bourget Paris
■その1
・ルブルージェへの行き方 ・黎明期(1783 - 1914) ・第一次世界大戦(1914 - 1918)
■その2
・戦間期 ゴールデンエイジ(1919-1939) ・第二次世界大戦(1939 - 1945)
■その3(1946〜現在)
・冷戦期のジェット研究機 実用ジェット戦闘機 屋外展示 コンコルドホール その他
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