ソビエトのミサイル万能主義

-戦闘機-


冷戦当時、2つの超大国である米ソが直接衝突すると言う事は、すなわち核による応酬が始まると言う事であり、核兵器の主力運搬手段である爆撃機を迎撃は極めて重要な任務でした。
そのため戦闘機の主要任務は核爆弾を搭載し飛来するであろうソビエトの爆撃機を超音速で迎撃し、ミサイルにより攻撃を加える事であり、事実、「核を中心とした航空戦」という1つの目的を定め戦闘機の進化が続いていました。アメリカでは戦闘機による「対戦闘機戦」である格闘戦闘を捨て、ミサイルによる対爆撃機が主流となりつつありました。

しかし、1960年代半ばから60年代末〜70年代初頭に掛けてアメリカとソビエトの「代理」である北ベトナムとの戦争、いわゆるベトナム戦争における空中戦は「核を中心とした航空戦」とは全く異なっており、敵の爆撃機を迎撃する状況などは皆無に等しく、爆撃機のかわりにソビエト製の小型で俊敏なMiGと交戦しなければならないという想定外の事態が多く発生してしまいました。
ご自慢の射程の長いミサイルは政治上の交戦規定により運用を制限されていた上に、元来爆撃機を相手に設計されたミサイルでは戦闘機であるMiGを相手にするにはいささか不利が大きすぎました。
このベトナム戦での戦訓により、「対戦闘機戦」の重要性が再認識され、パイロットへの格闘戦闘訓練の見直しやF-14やF-15の開発につながりました。


では、そのアメリカと対峙していたソビエトはどうだったのか?
ベトナム戦争の事例で、MiG-21などソビエトの戦闘機は機動性や飛行性能と格闘戦闘を重視したと思われがちですが、結論から言えばソビエトも「核を中心とした航空戦」を重視し、ミサイル万能思想を突っ切っていました。

まず、ミサイルが登場する以前になりますが朝鮮戦争世代で有名なソビエトの最新鋭戦闘機といえばMiG-15ファゴットであり、米製の新鋭機F-86Aセイバーの能力を最高速度・上昇力・旋回性能など殆どあらゆる能力で上回っておりました。改良型のMiG-15bisとF-86Fで一部の性能は逆転したものの、MiG-15は侮れない戦闘機には違いありませんでした。
しかしMiG-15は最初から米製戦闘機を相手に設計されていた訳ではありません。本機の武装はNR23 23mm機関砲1門、N37 37mm機関砲1門と大口径の機関砲を装備を少数装備しており、伝統的にブローニング12.7mm機関銃を6門装備していたF-86とはえらい違いです。大型の爆撃機を主目標にした事が窺い知れます。

殆ど性能面では互角のMiG-15とF-86ですが、MiG-15が圧倒的にF-86に劣っていたのは照準器でした。
F-86は射撃用レーダーを装備し目標機を測距、正確な射撃位置を光学照準器(OPL)に投影する事により全てのパイロットに、「射撃が敵機が吸い込まれていく」と賞賛されたエースパイロット、ハンス・ヨアヒム・マルセイユ並みの偏差射撃能力をもたらしました。
対するMiG-15はこうした装置を持っておらずOPLには固定された照準のみが投影されており、照準は完全にパイロットの経験任せでした。
MiG-15を原型にアフターバーナーを装備し後退角を増したMiG-17では、ようやく自機の動きのみを修正するジャイロ式照準器を備えましたが、アメリカでは10年も前、第二次世界大戦中のP-51マスタングに装備済みの装備に過ぎません。

MiG-17の後期型やMiG-19になり、ようやく測距レーダーを搭載しF-86相当の照準能力を得ましたが、この照準機分野で10年遅れたソビエトは容易に差を埋める事ができず、ソビエトとアメリカで、同じミサイル万能主義・核搭載爆撃機を迎撃する戦闘機であったにも関わらず全く異なる戦闘機が生まれる土壌となりました。

MiG-19世代以降も、およそ10年間のソビエトの主な戦闘機を見るといかに迎撃戦闘機重視であったかが分かります。
Su-7フィッター(NR-30 30mm機関砲2門)
Su-9/11フィッシュポット(機関砲搭載無し 100kmクローズドサーキット 世界速度記録 2092km/h)
Yak-25フラッシュライト(N-37 37mm機関砲2門)
Yak-28ファイアバー(機関砲搭載無し)
Su-15フラゴン(機関砲搭載無し)
Tu-128フィドラー(機関砲搭載無し)
(順不同)
以上、どれを見ても対戦闘機戦闘やドッグファイトを想定した戦闘機は皆無です。F-4クラスの中射程AAMを発射可能なレーダーを搭載するにはTu-128フィドラー級の大型の航空機を必要としました(航続距離を重視した点も大きいが)。それでも目視外戦闘能力はF-4以下でした。

リストには含めませんでしたが、ベトナムで米軍戦闘機を「苦しめた」MiG-21フィッシュベッドですら初期には機関砲を搭載しないバリエーションが生産されています。また、MiG-21の試作機Ye-6TはYe-66という名で世界速度記録への挑戦を行っており、上記したスホーイSu-9の記録挑戦用機T-405の樹立した100kmクローズドサーキット速度記録2092km/hを2388km/hに塗り替えています。エアインテークの形状から強力なレーダーが搭載できない不利をあえて選択し、速度を重視した紛れもない迎撃戦闘機です。

さらにもう10年後の世代を見てもドッグファイトに不利な可変後退翼を持ったMiG-23、高高度迎撃のみに特化したMiG-25と、変わらず速度重視の迎撃戦闘機の戦闘機です。

では、何故米国製戦闘機(特にF-4)はMiG-21など俊敏な戦闘機に苦戦したと言われる事が多いのでしょうか。それは私たちが西側の人間であるからであることと、西側の戦闘機は勝って当然というイメージ、そして朝鮮戦争では完全に圧倒していたにも関わらずベトナムでのキルレシオの差はあまり大きくなかった事が挙げられます。しかしソビエト側の視点から見れば、MiG-21こそF-4に苦戦しているといえます。1度の交戦など局地的な戦闘ならともかく、1年など長い単位で見ればMiG-21がF-4に勝てた事はありませんでした。

何故MiG-21は、同じくドッグファイトを考慮していないF-4等に負けてしまうのでしょうか。軽量小型で翼面過重や推力重量比の大きいMiG-21はF-4に大きなアドバンテージを持つ事が出来るはずです。

この続きはソビエトのミサイル万能主義 -戦闘機戦術-について記したいと思います。